諦めるな
諦めたらそこでおしまいです。
何事も。
ありふれた言葉ですが、
おしまいなのです。
その先はあきらめ続けている限り、
決して訪れません。
例えば一人の男が今、困難に立ち向かっているとしましょう。
そして男は困難の途方もなさに、膝をつき、肩を落とし、諦めます。
男は周囲にこう言うでしょう。
「私は挑戦したが無理だった。だから私にはもう無理なのだ。」
それで?
その言葉に何の意味があるのでしょうか?
私からすれば、このたとえ話の男の言葉は自分自身の可能性を永久に閉ざす言葉に他なりません。
どのくらい挑戦したのでしょうね。
1週間?
3ヶ月?
一年?
十年?
どれだけ時間とエネルギーを費やそうと同じ事。
自分自身で諦めを正当化してしまえる努力にどれほどの価値がありましょうか。
まして、それを「やってみたが」などと口にすることもおこがましい。
自分の行いを今後も含めて最大限と評する事が出来るのは愚か者のすることです。
彼は負けたのです。
これが自分自身に負けるという事なのです。
力のなさを実感しなさい。
負けを認めなさい。
負けを認めたくなくば、更なる努力をしなさい。
負け犬が開く口などはありえないのですから。
但し、
時間と比較して、
今これに時間を費やす事を一時的に後回しにすることは良い事でしょう。
それは諦めではなく前進なのですから。
山頂に至る道は一つではないのですから。
今勝てぬのなら、手に入れられないのなら、
勝てる力、手に入れられるだけの力を携えて、
また挑戦すればいいじゃないですか。
そう言う私は、
一時的に後回しにしているもの、た~くさんありますが、何か?
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